「基礎」は心を入れる前に、レッスンとして行動。
『あなたが生まれたとき、
周りの人は笑って あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、
あなたが笑って 周りの人が泣くような人生を送りなさい。』
(ネイティブアメリカンの教え)
だいすきな言葉です。
周りの人に支えられ、それを返して、精一杯の人生を送りたいと、
誰もが思ったり。。。(*^^*)
この言葉から、勝手に妄想を膨らませてみたのですが、
幼少のときに、まちがいや失敗をするたび、
いちいち自分自身や相手を罰していたらどうなっていたでしょう?
頭は大きくなっても、きっと歩くことさえ学べなかったことでしょうね。
先日、会社を訪れてきたひとがいました。
その子は確か・・3年ほど前にもわたしを訪ね、
「どうして内定をもらえないのか・・?」 に悩み、
面接の上での欠点をかなり指摘したような記憶があります。
晴れて大手に就職をして、トップ営業マンになったものの、
今度は社内の人間関係につまづき、居辛くなって再訪。
仕事が少しできるようになって、
意見のあわない上司たちに、その場で言い返したり、
自分の責任ではないことはそのまま主張し、謝らなかったり、
たちまち意見を貫き通すばかりに、摩擦が絶えず、
そのイライラはお客様にまで飛び火し、売上も低調とか。
これは正義感というより、弱さを知られたくないがための防御で、
否定されたと感じると、謝るどころか、つい強く出てしまうので、
引っ張るほう(上司)も、かなりの疲れを感じているのもわかります。
このひとは、激しく表に出るタイプで摩擦が表面化しますが、
逆に、後ろ向きで、周りが気を使い、モチベーションを上げてやっても、
何かをきっかけにまた落ちるという・・・
その繰り返しのパターンも、
じつは、間接的な攻撃として、まったく同じなのです。
そのひとは、「素直になれば全部うまくいくのは、わかっています。
変わりたいけど、その場になると変われないです。
具体的にどう考え方を変えて良いかわからない」と。
確かに性格を変えるのは難しいですが、行動は変えられます。
「おはよう!」「こんにちは!」など挨拶のクセはほんとうに大切で、
そのほかは、相手を怒らせたらその場で「ごめんなさい」と謝るクセ、
ついでに、怒っている相手の話が、たとえ暴言であっても、
まずは、吐き尽くさせて、怒りをカラッポにしてあげるクセ。
そのようなクセとタイミングが身につけば、しめたもの♪なのにネ。
いわば基礎なので、
はじめは、「心」からやる必要はありません。
基礎ができてないのに、感情まで入れようとするから
タイミングがずれ、相手に伝わらないことが生じ、うまくいかないのでは?
まずは、基礎が身についてから、心を入れたり、工夫をしたり、
応用すればいいじゃないか? と思います。
何より「感じの良い人」と思われることが、変われるきっかけを作ります。
すると、もっと、自分の意見も聞いてもらえるかもしれない。
うまくいかないときに、防御心からいろんな形で攻撃し、
同じ場所に留まって、こじんまりと小さくなるよりも、
基礎に返れる勇気は、大きな成長につながります。
基礎にかえり、レッスンとして学びとろうとすればクセになり、
成長のきっかけになります。
成長すればするほど、周囲にいろんなものが返せるようになります。
誰もが頭ではわかっていることでしょうが、行動からならできます。
もちろん、自分も含めてですが(笑)
「基礎」は心を入れる前に、レッスンとして行動。
皆さんが心に入れている「できるかできないかより、やるかやらないか」に
こういうのも一つ加えてみてくださいね。