喜怒哀楽キャンパス -2ページ目

言葉の魔法

私は、普段から発する単語をできるだけ、肯定的なものとして

表現することを意識しています。

そして、ハッピーな言葉で結んでいくことも忘れずに。

そんなわけで、

「もしも、○○だったら・・・」

「せっかく ○○したのに・・・」

「チャンスを逃した」

このような言葉は、私の中からなくなりました。

”ハッピーな言葉で結んでいく”

これは、良い人間関係を構築していくうえで

重要な役割を果たすと感じています。

ハッピーな言葉・・・

「ありがとう」「感謝してます」

「とても助かります」「よくやってくれるね」

からはじまり、

「いい予感がする!」「よい気分だ」「美味しい!」

「必ず、うまくいく」「いい仕事をしよう」

「今日もいいことありそう」

このような、言葉も簡単なようで、

実は日常、言葉として発している事が

少なかったりもします。

心の中にある、”ハッピーな言葉”を

人前で発することにより、

まわりの人も、気分がよくなり、

そして、なにより言葉にした本人が、

ハッピーになるのだと信じています。

現に、私はこれらを意識することで、

落ち込んだ気持ちをリセットしたり、

もうひと頑張り!のエネルギーとなったり、

大変役立っています。

1プラス1を 2ではなく、4に変える方法って、

人それぞれだと思います。

私は、言葉(口癖)の魔法(エネルギー)を

借りることを身につけてから、

周囲の物騒ぎや、雑音が消えました。

と、同時に

否定的、後ろ向きな考えがなくなり、

”言葉”がどれだけ周囲に悪影響を及ぼすかを

身をもって感じています。

言葉は、自然に”自分のもの”となり、

気がつくと、望んでいた自分になれます。

私は、そう信じています。

疲れている時、落ち込んでいる時こそ、

元気になる言葉”ハッピーな言葉”

を使ってみてください。


『 ありがとう 』

毎日生活している中で

「ありがとう」という場面はいくつもある。


ひとつは、何かしてもらって「ありがとう」

励ましてもらって「ありがとう」・・・・


もうひとつは、日頃の感謝。

家族、両親、友達、同僚へ

「いつもありがとう」


そして、そういうのとは別で、

ただただ存在に「ありがとう」と言いたい人がいる。


その人のおかげで、笑ったり、泣いたり、怒ったり。。。。

自分が自分らしくいられて、

自分自身を好きだと思わせてくれる人。

何もなくても、近くても遠くても。。。。

ただただ「ありがとう」


誰でも生きているあいだに

分類したり、説明したりできないほど

深い意味のある大切な人と出会う。


そう思える人に出会えることによって

また「ありがとう」の大切さを知ることができる。


そんな人に皆が出会えます様に。。。


病気をしたとき

どうして私が??

家族にあたることしか出来なかった。

自分が描いたとおりに物事が進み

それがあたり前で、自分ひとりでやってきたこと

だと錯覚してた。

普通に職につけるようになるまで、半年もかかった。

病気はしなければ、しないほうがいい。

でも、私は病気をして良かった。

家族、友達に支えてもらったからこそ、

今元気でいられてると思う。

そして、一番感じたことは・・・ 

彼氏、彼女、友達、家族がいても、アドバイスや

元気はくれるかもしれないけど、自分が変わり、それに

答えようとしなければどうしようもないということ。

結局は一人であるということ。

毎日が自分との戦い。

一人でがんばるのはとっても孤独でつらい、

グチをこぼしたり、泣いたり、キブン転換したり

そんな時にみんなが助けてくれる。

だからこそ、人間は強くなれ、また戦えるのでしょうね。

 

私は死を迎えるまでに、どれだけの人に支えられていくの

でしょうね。


女性専用車両と男女差別の誤解

最近、女性専用車両がふえてきました。

私もたまに利用することがあります。

もっとも専用車両そのものが先頭車両になっていることが多く、

通勤には目的の出入口からは不便ということがあり、

やむなく一般車両に乗ります。

女性の場合、当然、男性の場合と比較して

歩測は狭くなり走ることもままなりません。


通勤の痴漢防止であれば、車両の中心部分に置くべきでは。

というのが目下の悩みです。

女性専用車両の出現は痴漢防止ということだそうですが、

女性の側からすると、別の意味で快適です。

いわゆるおやじ臭がないからです。


実は今回お話しようと思ったのは、女性専用車両

そのものではなく、男女差別に関する男性の誤解です。
先日テレビをみていましたら、ニュースで

女性専用車両についての街頭インタビューで、

若い男性が男性専用車両を作るべきだと、
真面目顔でいっていたことです。

つまりこれを男女差別と考えているわけです。

これについて私は男女平等ということばが生んだ弊害が、

男女差別ということばの誤解を招いているように思っています。
この男女平等というのは、給与などを男女ということで

差別するな。ということから、

機会均等(職業に就ける平等など)
とあわせて生まれました。それまでの日本は、女は体力が

ないという理由で、給料に差別をつけた弊害をなく

そうということからであり、これは当然のことながら

差別の是正(あるいは修正)です。

これに対して男性専用車両を作れ。という発想は、私は差別の


意味の誤解と、最近の男性の意識の貧困以外なにものでもないと

思っています。女というのは男性に比べて体力は劣ります。

出産のために脂肪分を体内に含むため、筋力に転換しない

メカニズムをもっているからです。つまり肉体的に防御できない
女性擁護の方策であり、差別のためではないということに
インタビューを聞いていて、日本の将来を憂うというのは、
いささかオーバーといわれるかもしれませんが、

我が社の男性陣も、せめて女性擁護の立場で

接していただきたいと思います。

男性の場合、特定の女性、つまり奥様や恋人には、

擁護意識がありますが、それ以外になりますと、その意識が

薄れ、結果として差別という低レベルな意識になる方が

少なからずいらっしゃします。


一度これを機会に女性専用車両から差別と擁護について

少し考えていただければと思います。


感じ方

こちらの地方では台風も半ば通り過ぎて、

心配していた雨もほとんど降らずじまいでした。


ただやはり時折り強い風はあり、オフィスを

出るときにも、最近では感じたことのないくらいの

強さで少し涼しい風が吹き上げてきました。

私が「すずしいな」とそう思ったすぐ隣で、

相方は「うわっ」とうっとうしそうな声。


去年の秋口から、景気についても

いろいろ言われています。

8月で、景気拡大43カ月目。

何気に戦後3番目に長いそうですね。

でも、そんなに景気がいい感じはしますかね?

たぶん今景気がいいとあまり実感できない人は、

世の中のお金儲けの仕組みから浮い

た部分で生活をしているんでしょうね(^.^;;)

ここ1年で株やREIT等、気軽に手を

出せるものだけでも実は結構儲けた人も多いでしょう。

世の中の経済の動きに連動して

自分の懐具合が変わるようなセンサーを持っている人には、

結構いい年だったのかもしれません。

ここで同じだな?と思うのは、

たとえば同じ風を受けても、人によって

感じ方が違うということ。

私も最近うまくいくことも、いかないことも

いろいろありますが、一つだけ気がついたことは、

すごく腹が立った時、その「腹が立つという感情を

選んで作っているのは自分だ」ということです。


一晩寝れば同じことでも腹が立たなかったり

許せることもあるように、その時々の自分の

精神状態によって同じことでも受け止め方は

全然ちがったものとなってきます。

嬉しかったり悲しかったりすることもおんなじですね。

普段自分の心のまわりにはいくらかのバリア?

みたいな物があって、少しくらい不本意なことが

あったとしてもうまいこと、自分の感情や周りへの反応を

コントロールできてますよね。

ただ、精神的に追い詰められていたり、

体が疲れている時なんかは、そのバリアがうすくなっている時がある。

それは仕方のないことですね。


それでも、そういう自分の精神状態に結構な波があって、

それが相手に対する反応のムラになってしまうと

結構相手にとっては辛い思いをさせてしまって

いることがあるのかな?と。

私結構、やさしいほうなのかな?と思われていることが

多いですが、疲れていると心ないことを言うことがあります。

でも、そういう時って結構傷つけていることもあるのかも。


喜怒哀楽キャンパスの中で言う「怒」の部分。

この部分もとても大切なのですが、よく考えないで

ここを元に行動を起こすと、後々後悔をしそうな

結果になってしまうことも多いのかな?と思います。

感情の行き違いってカンタンにおこるけど、

また心を許す状態になるのには時間がかかりますものね。


自分をもう一度振り返り、

一晩寝ても腹が立つことは許さなくてもよいでしょう。

(^.^;;)

正直に腹が立つと直接宣言することも

実は関係修復の糸口になったりするかもしれませんからね。


人のせいにするのに、ケンカもしない。 

これではいつまでも立ち直れませんが。

自分の中にも原因を探す。それでも我慢できなければ、

言ってしまう。これなら何だかケンカしても、

ケンカした甲斐があるのかもしれませんね(^.^;;)


面白いときはすぐにバカ笑いをしても全然OKですけれど、

腹が立った時だけは、他の人ならこの風をどう感じるか?

自分はどうして腹を立てたのか。

感情に反応する前に少し時間をおくのもいいのかも。

昔の格言「今も生きる」

●大衆に仕えるものは哀れむべき者である。

その者は散々に苦労したあげく誰からも感謝されない。


●大衆に逆らおうとするものは誰か。

わたしは彼らに逆らわない。彼らの行くに任せる。

大衆は漂い、働き、ぐらつき、ぶんぶんうなるが、

結局は一つになる。

●役に立たぬ人とは何か。命令することも、

服従することもできぬ者。


●実際の道徳の世界は、大部分悪意と嫉妬からなる。


●全ての人間が自由を得るや、その欠点を発揮する。

強い者は度を越え、弱い者は怠る。


●人は皆分かることだけ聞いている。


●キリスト教は、政治的革命を企てたが、

失敗したので、後に道徳的なものになった。


●もし賢い人が間違いをおかさなかったなら、

愚か者は失望するしかないだろう。


●虹も15分も見たら、人はもう見向きもしない。


●経験したことは理解したと

思い込んでいる人がたくさんいる。


●人はほとんど知らないときにのみ知っている。

知識とともに疑いを増す。


●われわれを厳しくこきおろすのは誰か。

自分自身に見切りをつけたディレッタントだ。


昔の人の言葉も現在に生きています。

これだけ文明が進化しても人の心理は大きく進化しない。

本物のサービスとは・・・

先日滋賀県にある とあるレストランに行って来ました。

滋賀県の観光スポットといえば「琵琶湖」ですが、

琵琶湖からついでに歩いていける

ような場所にあるわけでもなく、

「知る人ぞ知る」レストランです(多分・・・)


さて、私はここで「パスタコース」を注文しました

前菜、サラダ、パン(食べ放題!)と

デザート、ドリンクまでついて

1800円。安くはありませんが、

高級レストランほど全く高くありません


実は私はチョコレートが食べられません

いつもこういったコースを注文する時は事前に

「デザートは何ですか?」

と聞き、厚かましくもチョコレートは外してもらいます

私の経験上、この時点で、

しかも私の分だけ変更してくれるというのはかなり

少数派の「良心的」なお店です


この日はお店の雰囲気の良さと店員さんの行き届いた笑顔、

それからおいしそうな焼き立てパンの匂いに圧倒されて、

事前に「デザート」の内容を聞くことをすっかり忘れていました

メインのパスタも食べ終わり、

いざ「デザート」となった時私の前に運ばれてきたものは・・・・・

なんと「ガトーショコラ」・・・ガーン・・・(T_T)
それまでの料理に大満足していた私は、デザートを諦め、

同席している友人に譲りました

すると・・・

それを見ていた店員さんがやってきたのです

店員さん「チョコレートダメでしたか?」
私  「は・・・はい」
店員さん「すぐに別のものと取り替えますね」


なんとっ!取り替えてくれるではありませんか。

しかもみなさん、この言葉の「良さ」が分かります?

「取り替えましょうか?」ではないんですよ!

「取り替えます」なのです


取り替えましょうか?と聞かれれば、

遠慮して「あ、もういいです」とも答えかねない!

ここで「取り替えます」と言われれば

何も言えないじゃないですか!(喜)

店員さんの本当に心のこもったサービスに感激した私が、

お店の宣伝をするのは言うまでもありません

http://www.geocities.co.jp/Foodpia/7665/  

そして、デザートまで大満喫して帰ったのでした♪ 

また太るー(>_<)

自由と責任

「何でも好きにしていいよ」

と言われて、喜ばない人はいないと思います。。

ただ、その後に、

「その代わり、自分で責任をとって。」

と言われると、その好きにすること自体が、

それほど、居心地のよいものでは

なくなってくるのではないでしょうか。

子供に対して、

「何でも好きなようにしていいよ。

 その代わり、

 これからは自分で働いてね。」

と言うのと同じかな…。

こんな話があります。

息子の一人が、

自由になりたくて、

父親に頼むのです。

「自分が相続するはずの財産を、

 今自分に分けてください。

 そうすれば、あとは、

 自分で生きていきますから…」と。

その息子は、やはり、

自由を手に入れたという浮かれ気分で、

その財産を湯水のように使っていきます。

そして、何もかも失った時に、

責任を忘れていたことに気づくのです。

多分、自由に憧れているだけの時は、

その責任を誰もが忘れています。

私たち大人も、また、

その大人のもとで生活している子供も、

自由ばかりが輝いて見えるから、

そうなってしまうのではないでしょうか。

自由は責任とセットである。

それを理解すれば、

やはり自由は楽しいものです。

自由を満喫しましょう。

ぶつかる!

皆さんは

ぶつかっていますか?


ぶつかれる相手、
受け止めてくれる相手、
自分の近くにいますか?


受け止めてくれなければ、
ぶつかっても、
お互いが妙なところを打ち、
ケガをするばかりです。


それでも、
そういうぶつかり方から
自分の生き方を身につけていく。

自分は…と考えれば、
ぶつかる方かな、
ぶつかられる方かな?


多分、ぶつかる方が多い。
そして、その時の相手の反応を見て、
手を抜いてみたり、
ぶつかるのを遠慮したりしている。

もっと若い頃は、ただ
ぶつかっていただけだろうな。

相手の能力も、迷惑も考えず…


「自分が傷ついた」
なんて言う人に限って、
けっこう人を傷つけていたりする。


というのは、
ぶつかられた時にかわせないから、
傷つくことにも通じるわけで、

そういうことから考えれば、
うまくかわせない人は、多分、
うまくぶつかることも出来ない。


ぶつかられた方は、
けっこう傷つくわけだ。


傷ついた、傷つけられた。
なんていう事実よりも、
その傷で、自分はどう生きるか。

これが大切ですよね


形の違う心
何度でもぶつけあって

人はみな それぞれに
生きてゆく術を知るんだと思います。

会社愛

先日、仕事が終わり家に帰ろうと電車に乗っていました。

そこでサラリーマン2人組がくだらない話をしていたので
ご紹介します。


おそらく部下が上司に相談をしていたのでしょう。

『うちの嫁は、俺に向かって‘なんにもやってないんだから
少しは家事を手伝いなさいよ’と言うんですよ!毎日仕事して
食わしてやっているのに偉そうに!!全

然ありがたみが分かっていないんですよ!!
どう思います?●●さん』


皆さんはこのサラリーマンの

発言についてどう思われましたか?


私はこのサラリーマンの器の小ささに笑ってしまいました。

このサラリーマンだってきっと『愛』があるから奥さんと結婚し
一緒に暮らしているはずです。


最近いろんな人を見て思ったのですが『愛』とは人を思いやること
が根底にあると思います。


夫を思いやる嫁、嫁を思いやる夫。

その他にも『愛』の中には、尊敬、譲歩、等・・・。


それが根底にあるから喧嘩をしてもお互い向上しあえる。

それは企業にも当てはまるはずです。


社長を思いやる従業員、従業員を思いやる役員、役員を利用する従業員、
社長を利用しきれない従業員・・・(最後の二つはおまけです)。


社長への批判も、役員への不満も、部下への追い込みも
尊敬や思いやりがあるのとないのとではぜんぜん変わってくると
思います。


皆さんも『愛』を根底に思いやりを持って人と接しましょう。

愛は地球だけでなく、この会社の全社員も救いますから!!